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商虫列伝(1) 国産の天然もの

 "天然もの"とは、野外から人手によって集められた虫である。後述のように釣り餌の商虫には、輸入や養殖ものとおぼしい虫もあるが、最も多いのはやはり天然ものである。そして、 これらの虫の中には昆虫学者や昆虫愛好家など、俗に"虫屋"と呼ばれるわれわれから見ても、どうやって集めたのかわからないような珍しい種類まで含まれている。

 また、それらは木の枝や子実にひそんだ状態で売られることが多いが、実際に購入して調べると、中の虫が不在または死亡しているようなケースは多くても10%止まり、歩留まりの高さに驚く。 虫屋が本気で集めてもこうはゆくまい。採集人たちの探索能力と、中身を透視する眼力には恐れ入るばかりである。


ブドウスカシバ Nokona regalis (写真B-1〜3)
[釣り餌名:ぶどう虫、えびづる虫]

B-1 「ぶどう虫」(ブドウスカシバの幼虫)
の売品
B-2 同、内部の幼虫 B-3 ハチそっくりなブドウスカシバの成虫のガ

 この幼虫の寄生を受けた枝はその部分が太くふくらみ、それより先の部分を枯死させるブドウ害虫としても知られるが、通常、防除の行き届いたブドウ園よりも野生のエビヅルのほうが寄生率が高く、 売品もほとんどがエビヅルで集められたものである。

 採集はこうしたコブ状にふくらんだ枝をさがせばいいのだが、われわれがそれを集めても中の幼虫の有無や生死は枝を裂いてみなければわからないことが多い。しかし、 購入した枝から死んだ幼虫が見つかることはほとんどないことに驚く。採集人たちが今で言う「非破壊検査」をどうやって行っているかはナゾである。

 成虫のガはハチにそっくりな形をしていて、「擬態」の例として有名である(写真B-3)。もちろん刺すことはできないが、それでもつかむと腹を曲げて刺すマネまでする。

 なお、田中誠氏によれば、この幼虫は釣り餌のほかに江戸の武士階級に流行したウグイスやメジロなどの飼い鳥の餌として用いられ、徳川吉宗(1684−1751)のころから近在の農村は毎年、 将軍家から「エビヅルムシ」の上納を強制され、たいそう苦労したと伝えられる(注4)。

 また、近年「養殖ぶどう虫」「バイオぶどう虫」などのまぎらわしい名の釣り餌が出回り、むしろこちらのほうが主流になっているが、これは別項の「養殖もの」で後述するように、 ハチミツガというまったく別のガの幼虫である。


イラガ Monema flavescens (写真C-1〜3)
[釣り餌名:玉虫]

 マユ(繭)の中で越冬中のイラガの終齢幼虫を、タナゴ釣りの特効餌として販売。マユ10個で400円。タナゴ専用の餌としてすでに明治時代から用いられていたが、商品化は昭和初期のことらしい。

 なお、タナゴは弱い魚で、釣れば必ず死ぬし、食用にもならない。ほかの釣り魚の少ない寒中において、釣り人たちの心を癒す遊びがその釣りの目的である。実にカワイソウな殺生で、 若年層の釣り好きからはすでに見放されつつあるという。

C-1 「玉虫」(イラガのマユ)の売品 C-2 同、内部の終齢幼虫 C-3 刺す毛虫として有名なイラガの幼虫

 ちなみに釣りの本による「玉虫」の使用方法は「毛抜きで危険な毒トゲを全部取り、頭をチョン切り、中のドロドロを小さく針にからめる」のだそうである。

 イラガの幼虫は、カキの木やサクラの木などの庭木に多い有数の「刺す毛虫」で、うっかり刺毛に触れると電撃的な激痛が走る(写真C-3)。しかし、マユの中で越冬中の終齢幼虫は、体が白く縮み、 刺毛もフニャフニャになってもはや人を刺す実力はなくなる(写真C-2)。あちらの世界のイラガはこの越冬幼虫まで人を刺すらしい。


ボクトウガ Cossus jezoensis (写真D-1・2)
[釣り餌名:やなぎ虫]

 ネコヤナギの枝に潜入している幼虫を集め、主としてウグイやニジマスなどの渓流魚用に販売。幼虫10匹を木屑とともに容器に入れて300円。ボクトウガは各種の樹木の枝幹部を加害し、 幼虫期が2年間にわたるので周年的に採集が可能だが、"虫屋"ならばこの価格ではとても集めきれまい。

 多くの釣りの本で、この虫の正体を「カミキリモドキの幼虫」としているが、これはカミキリムシの幼虫とは異なることに由来する釣り世界での命名で、実際にある甲虫のカミキリモドキ科とは無関係のガの仲間の幼虫である。 なお、正体についてはすでに"虫屋"の出身で釣りの研究家の本間敏弘氏が、「ボクトウガかまたはゴマフボクトウZeuzera multistrigata の幼虫」と指摘している(注5)。 また、本種と思われる「柳の虫」を釣り餌に用いた記録が1835年(天保6年)にある(注4)。

D-1 「やなぎ虫」(ボクトウガの幼虫)の売品 D-2 同、中の幼虫の拡大




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