ホーム > 読み物コーナー > 釣り餌の"商虫"列伝 > 商虫列伝(1) 国産の天然もの

キクスイカミキリ Phytoecia rufiventris (写真H-1)
[釣り餌名:きく虫]

 キクの害虫として知られるカミキリムシ科の甲虫で、釣り餌としては現地でヨモギやブタクサの茎内から幼虫を採集してオイカワ・ウグイ・ニジマスなどに使用する。

 釣りの本(注6)によれば「1960年ころ神戸の釣り人によって紹介され、全国に普及し、採集も容易だが、売品もある」とのことであるが、ぼくはこれもまだ売品を見たことがない。 前出の本間氏(私信)によれば、これが使われているのはなぜか関西地方だけで、販売されているとすれば関西方面だけであろうとのことである。

H-1 「きく虫」(キクスイカミキリの幼虫)の成虫
(河合省三氏提供)


エゴヒゲナガゾウムシ Exechesops leucopis (写真I-1〜4)
[釣り餌名:ちしゃ虫]

 ヒゲナガゾウムシ科の甲虫で、エゴノキ(チシャノキ)の子実に寄生した幼虫を販売。寄生子実30個入りの袋で300円。

 本種の商品化や同定の経緯については前記の徳永先生が詳しく記録している(注7)。それによると、エゴヒゲナガゾウムシ(別名ウシヅラカミキリ)は1935年(昭和10年)ころからウグイやオイカワ用の釣り餌として珍重されはじめ、 当時1匹2銭の高値で取り引きされたという。カケソバ一杯10銭の時代である。今ならば1匹60円に相当しよう。昆虫学者の間でもほとんど知られていなかった珍奇な形の甲虫で、 その同定には故・江崎悌三・湯浅啓温の両先生まで関与されている。また「採集時より約20か月を経過したる筆者(徳永)所蔵のチシャの虫を検するに、依然幼虫態にありて、生色旺んにして採集時のものと殆んど分かち難し」とある。 日もちの点でも申し分のない餌のようである。

 幼虫入りの子実は小さい産卵痕があり、上から落としてバウンドしないものを幼虫入りとして見分けるというが、こんな特殊な虫が半世紀を越える時を経て、なお商虫として健在なことに驚くとともに、 採集人たちの収集能力に改めて感嘆する。

I-1 「ちしゃ虫」(エゴヒゲナガゾウムシの幼虫)の売品 I-2 同、寄生したエゴノキの種子の内部の幼虫

I-3 同、エゴの若い種子に産卵中の雌成虫 I-4 同、雄成虫
(頭部の形状からウシヅラカミキリとも呼ばれる)

 ぼくは昔、この珍虫が欲しくてエゴノキで再三さがしたが、ついに採集できなかった思い出がある。ところが最近、虫仲間でこのグループの専門家の九州大学の森本桂氏(現名誉教授)からの情報で、 ぼくの住むつくば市内のさる公園のエゴノキで、なんと多数の成虫に遭遇することができた。成虫は樹上で未熟の緑色の実に産卵するが、やがて実が落下すると表皮がはがれてコーヒー豆に似た売品のような状態になる。 後日、この公園でそうした種子を拾って調べたところ、寄生率は実に70%に達していた。

 つくば市にはエゴノキのある公園はほかにもあるが、この公園以外ではこの虫は見られなかったので、かなり発生条件がデリケートな虫らしい。しかし、ツボさえ見つかれば「売るほど集める」のもそう難しくなさそうである。 採集人はそれぞれそうした秘密のツボを持っているのであろう。

 ちなみにエゴノキは、武蔵野を代表する雑木で、春には純白の鈴に似た花をつける。日本ではほとんど顧みられていないが、アメリカではジャパニーズ・ベルフラワーと称して庭木になっているという。 また、その実はかつて埼玉あたりで女の子のお手玉の袋に入れられたという。きっと何度も放り上げられて目を回した「ちしゃ虫」も多かったことであろう。

 さらにこの実には毒物質のサポニンが含まれ、ナチュラリストの故・足田輝一氏によると、昔、子供たちがこれをすりつぶした汁を小川に流し、小魚をとったという。かねてから淡水魚とは縁の深い木といえよう。 以前その足田氏が訪ねてこられた際に「ちしゃ虫」の話をしたら、これまで見たことがない由であった。ただ、エゴノキはいくら種子をまいてもほとんど発芽しないとのことで、その一部はこの虫の寄生が関係しているのかもしれない。


コナラシギゾウムシ Curculio dentipes (写真J-1・2)
[釣り餌名:どんぐり虫]

 後述のクリシギゾウムシ(栗虫)と同属のゾウムシ科の甲虫で、主としてコナラのドングリに寄生するコナラシギゾウムシ(森本桂氏 <前出> 同定)の幼虫である。1992年2月、東京の渋谷の釣具店で入手したもので、 直径・高さとも約7cmのプラスチックの円筒容器に湿らせた土とともに約50匹の幼虫が入れてあった。驚嘆したことに死亡個体は1匹もなく、価格は490円。ラベルによると「特選どんぐり虫/ヤマメ、イワナ、 ニジマス、ハヤ、ウグイ/渓流釣りに最適の生餌/使用した残りの虫は次回の釣り行きまで保存可能/乾燥をさけて保存/50匹以上入り」とある。

 前掲の森本氏(私信)によれば、コナラシギゾウムシの生活史は不明だが、コナラのほかクリ、アベマキ、アカガシの種子からも記録されているという。また九州では業者が秋に、寄生の有無にかかわらず、 ドングリをキロいくらで買い上げ、赤土を入れた壺などの上におき、土中に脱出潜入した幼虫を集めているという。それはクリ園に多発するクリシギゾウムシよりも集めにくいと思われるが、 価格は本種のほうがやや安い。また表示された「保存がきく」というのも本当で、常温で蛹化せず、土の乾燥が原因で死ぬまで3か月以上も生存した。

 なお森本氏は、いわゆるドングリからは本種をはじめ6種のゾウムシ類の寄生を確認しているとのことなので、商品によっては他種が混入している可能性がある。

J-1 「どんぐり虫」(コナラシギゾウムシ幼虫)の容器 J-2 同、中の幼虫

チャバネトゲハネバエ Tephrochlamys japonica (写真K-1〜3)
[釣り餌名:らびっと・ラビット]

 近年「らびっと」と称する小型のウジがワカサギ用の釣り餌として人気を高めている。この名はウサギの糞で発生させることに由来し、ある釣りの本(注9)に、 釣り師がウサギに脱糞をうながすイラストまんがまで出ているところをみると、すでにかなり普及してもいるらしい。冬期間のみ売られる餌で、ぼくがその存在を知った1990年の5月は、 すでにシーズンオフであったが、友人の紹介で仙台市の釣り餌店から冷蔵庫の隅に残っていたものを入手した。ウジはイエバエの半分くらいの大きさで、約100匹をオガクズとともに小袋に入れ、 シーズン中の売値は1袋350円とのことであった。入手したものはすでに大半がサナギになっていて、まもなく小型のハエが多数羽化した。

K-1 「らびっと、ラビット」
(チャバネトゲハネバエの幼虫)
の売品の包装袋
K-2 同、中の幼虫 K-3 同、飼育して羽化した成虫

 さてその正体であるが、国立感染症研究所の倉橋弘氏の同定によって、標記の種であることが判明した。チャバネトゲハネバエは1967年に新種として発表された種類であるが、 北海道と本州の各地に分布し、鶏舎などでよく発生するという。この仙台の釣り餌店の話でも、幼虫はウサギの糞を置いておけば発生するが、売っているものは養鶏場の鶏糞から冬期に集めたものという。 この「冬期」というのがミソで、日もちの良さも、イエバエなどが混入しないのもそのためであろう。

 なお、チャバネトゲハネバエが衛生害虫として問題になったことはまだないが、近似種のスジオトゲハネバエScoliocentra engeli が1979年に関西のある大手養鶏場で大発生し、 成虫の大群が付近の高層住宅の、しかも7〜8階の高さまで飛来して"ハエ公害"で騒がれたことがある(注8)。あるいは「らびっと」も単一種ではなく、 地域によっては近似の別種がこう呼ばれている可能性もある。



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