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はじめに



写真:梅谷 献二氏と虫のオブジェ
 昆虫少年の「前歴」を持つ虫屋には物を集める習癖を持つ人が多く、ぼくにも多少その癖がある。ぼくは長く農林水産省の研究機関にいて害虫防除の研究でゴハンを食べてきた因果で、 これまで無数の虫を殺してきた。しかし、齢を重ねるとともに、その反動で最近は妙にホトケ心が生じてきた。そこで、このところちょっと凝っているのが、 虫をモチーフにした玩具や工芸品など、いわば殺生を伴わない昆虫収集である。

 多くの場合、個人のコレクションは家族にとって迷惑な存在で、ぼくも当人が亡き後の無残な散逸を数多く見てきた。ぼくのこのささやかな収集も、 しょせんは一代限りの楽しみで、あの世に旅立った時には、家族が「お父さんが大切にしていたものだから一緒に燃やそう」と言うに違いないと覚悟していた。 が、 聞き及んだいくつかの博物館や研究機関から、寄贈についての照会を受け、最近、ぼくのかつての古巣でもある独立行政法人・農業環境技術研究所の昆虫標本館に一括寄贈した。 同所では一部の虫のオブジェを常設展示するなど手厚く扱っていただき、なんとか後世に残すことができたことを喜んでいる。

 虫のオブジェは、それをモチーフに選んだ何らかの動機が作者にあるはずである。強いて理屈をつければ、このコレクションには、それを通して、 その時代時代の世間一般の虫に対する関心度の指標になるという、もっともらしい目的がある。しかし、虫嫌い人口の急増で、こうしたオブジェは年々急速に姿を消しつつある。 まず売れないという絶対的な理由で、見かけた時に入手しなければすぐに姿を消すのが通例である。しかもぼくは、もっぱら人からもらうのを原則とし、 購入する場合は低い限度額を設定しているので、鑑定に出すほどのカネメのものはひとつもない。さらには、それほどマニアックでもなく、不熱心な収集なので、 総数もまだ1,000点ていどしかなく、それも世間的な評価ではただのガラクタに過ぎまい。

 しかし、どんなものでも百年たてば宝になる。千年たてばこのガラクタの中から国宝が出るかもしれない。その意味で「無き数に入る名をぞとどめる」ことが、 将来多少の歴史的意味を持ってくれることを期待している。ここ数年、その一部を『農薬グラフ』の表紙で紹介させていただき、またこのたびは、 発行元の了解でそれを当協会のホームページで再録することとなった。撮影はいずれもプロの手になるもので、実物よりもはるかに見栄えのする姿になっている。 段ボール箱に押し込められ、家族から冷たい目で見られていたオブジェたちも、思わぬ日の目を見て喜んでいることであろう。


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