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てん菜の多収に貢献、増田昭芳のペーパーポット移植

〜他の作物にはない伸び〜


増田昭芳の工夫



 てん菜といっても知らない人が多いだろう。シュガービート、砂糖大根といえば、わかってもらえるだろうか。北海道以外では見かけないが、 道内では畑作の基幹作物で、7万ヘクタールの作付面積をもつ。

 てん菜について、ぜひ知っておいていただきたいことがある。戦後、我が国の農作物の多くが単収を伸ばしてきたが、てん菜ほど急伸した作物はない。 具体的な数字をあげよう。

 昭和31年のてん菜ヘクタール当り収量は22トンだったが、平成3年には57トン、世界的にみてもトップランクで、増加率3.6倍になる。 同期間の稲が1.4倍、小麦の1.5倍に比べても格段の増加である。

 単収が急伸した主因は、ペーパーポット移植が普及したためである。今日では普及率98パーセントにも達するこの発明がなければ、 てん菜の今日の増収は望めなかっただろう。

 ペーパーポットを文字で説明するのはむずかしい。特殊なクラフト紙でできた径2センチ・長さ13センチの筒を1400本ずつ水溶性の糊で接着してある。 使用前には折り畳まれているが、播種の際拡げると、断面が六角形の筒の蜂巣状の集合体ができる。この巣孔部分に土をつめ、播種をする。

 育苗は40日あまり、4〜5葉になった苗をポットごと畑に移植する。その頃には糊は溶け、ポットは1株ずつに分けられる。紙と器用さが売物の、 いかにも日本的な技術だが、帯広市にある日本甜菜糖(株)の研究所で増田昭芳によって開発された。

 昭和27年、日甜に入社した増田は、以後の人生をてん菜の収量向上にささげる。北海道のてん菜が低収であった原因は生育期間が短いことにある。 そこで、解決策として移植を考えた。ただし、てん菜は移植すると直根が切れやすく、ひげ根が多生して製糖原料にならない。 これが彼にポット移植を発想させる原点となった。

 昭和31年、新聞紙で筒を試作してみたが見事に失敗する。紙が腐って個々の苗の根が絡み合ってしまうからである。翌年はパラフィン紙で筒を作り、 苗を育ててみた。育苗も移植後の生育も順調だったが、筒の糊づけや、折れ目の破れやすさなどに問題が残った。

 紙質の改良と折り畳み方式の考案などに工夫を重ね、現在のようなポットが開発されたのは昭和34年の秋のことである。

 「苦心の手造り第一号紙筒は、筆者の家庭菜園でてん菜育苗に供試し、朝な夕な観察した」とは増田の回想文の一節である。

 昭和36年、はじめての現地試作がオホーツクに面した常呂町で行なわれた。予想以上のできで、50トン以上の多収農家が続出したという。 町役場には今も「甜菜紙筒移植栽培発祥の地」の碑が誇らしげに建っている。

 増田は研究所長を最後に退職したが、今も顧問として元気に研究所に通っている。

(西尾 敏彦)


「農業共済新聞」 1995年10月25日より転載


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