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野菜の幼苗接ぎ木法を可能にした
「全農式接ぎ木」の板木利隆(いたぎとしたか)


イラスト

【絵:後藤 泱子】

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 もう7年も昔だが、野菜の接ぎ木について書いたことがある。当時は、この技術の発明者名を特定できず、「昭和2年ころ、兵庫県明石郡のある農家が工夫」と記しておいた。最近になって、 この農家が林崎村(現在の明石市林崎町)の竹中長蔵(たけなかちょうぞう)であることを知った。教えてくださったのは、 元鳥取県園芸試験場長内田正人(うちだまさと)氏である。改めてお礼を申し上げたい。

 野菜の接ぎ木はわが国が世界に誇る革新技術である。もともとはスイカのつる割れ病対策として開発されたものだが、まもなくキュウリに広まり、昭和30年代以降、キュウリ・トマトなどの果菜類でも可能になり、 急速に普及した。ちょうど施設園芸が普及しはじめた時期で、連作対策としても農家に歓迎された。最近は減農薬技術としてさらに広まり、野菜・茶業試験場の調査では、路地もの・ハウスものを含めてスイカでは91%、 キュウリ79%、ナス57%、トマト41%が、接ぎ木であるという。

 ところでこの接ぎ木栽培で、現在もっとも普及しているのが「全農式幼苗接ぎ木苗生産システム」である。平成2年(1990)、全農農業技術センター(神奈川県平塚市)の板木利隆(いたぎとしたか)技術主管らによって開発された。 開発までに、4年を要している。

 板木は元神奈川県園芸試験場長・同農業総合研究所長という経歴をもつ。退職後全農に移るが、ここで全力を注いだのが、野菜の簡易接ぎ木法の開発だった。ちょうどアメリカから導入されたプラグ苗(セル成型苗)が普及しはじめた時期である。 彼はこれを利用して、トレイ上の幼苗を〈居接ぎ〉する手法の開発を思いついた。

 たとえばキュウリでは本葉1葉期に、ナス・トマトの場合、接ぎ木は従来4〜5葉苗が普通だった。板木はこれを、キュウリでは双葉の展開前、ナス・トマトでも2・5葉程度の苗で可能にした。 〈そんな幼弱苗でできるのか〉という声も多かったが、彼はこれを、3つの工夫で乗り越えていった。

 第1は、台木・穂木の切断角度を30度程度にしたこと。接合面を大きく、圧着しやすくすることで、苗は活着しやすくなった。

 第2は、支持具の発明。縦に裂け目をもつ弾性体のプラスチック・チューブだが、これの利用で作業がより容易になった。チューブは苗の太さに応じ3種用意されていて、苗が生長すると自然に脱落する。

 第3は、接ぎ木後の活着を助ける養生装置の考案。装置の中で、苗が最適の温湿度・光・風条件下に保たれることで、接ぎ木歩留まりは100%近くまで向上した。

 「全農式」の登場で、接ぎ木のスピードも加速された。従来1日400〜500本しかできない面倒な作業だったが、1000〜1200本まで可能になった。おかげで現在、流通している接ぎ木苗の7割は、 この「全農式」が占めているという。

 これは板木から直接聞いた話だが。「全農式」のポイントは、なんといっても支持具の発明。彼はこのアイデアをたまたま買い物に出かけたスーパーの網戸売り場で思いついたという。 木枠に網を固定するプラスチック留め具が、支持具を発想させた。原点は意外なところにあるものである。

 板木は現在73歳、今も技術士事務所を主宰し、野菜の研究普及に情熱を注いでいる。最近は家庭菜園の普及に熱心だが、自らも7アールほどの菜園をもち、汗水を流している。

続日本の「農」を拓いた先人たち(49)野菜の幼苗接ぎ木法開発、板木利隆の創意光る「全農式」 『農業共済新聞』2003年8月2週号(2003).より転載  (西尾 敏彦)


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